今日は、鶴舞公園の設計者本多静六博士のことを書きます。でもその前に・・・
昨日、写真を間違えて「奏楽堂」を貼ってしまいました。ごめんなさい。次の写真が「噴水塔」です。

それでは・・・
本多静六博士は「日本の公園の父」と呼ばれている。
我が国最初の洋式公園「日比谷公園」の設計を皮切りに、全国各地の公園づくりを手がけた。
北は北海道から南は鹿児島まで、設計した公園の数は“大小合わせて数百”にのぼるという。
明治42年に誕生した、我が「鶴舞公園」もそのひとつである。
江戸末(1866年)生まれの静六は、苦学をして東京山林学校(現東大)を卒業した。
23歳のときに一流の林学者を目指して、当時最先端の技術を誇るドイツへの留学を果たす。
帰国後、東京農科大学(現東大)助教授となり、32歳で日本初の林学博士となる。
翌年東京帝国大学の教授になり、多数の専門書を著すなど、黎明期の日本林学の基礎を築いた。
山林の保護と人々の健康に深い関心をもっていた静六は、国立公園の創設にも力をつくした。
そして、専門の「森林美学」を応用した公園設計にも腕を振るうようになったのである。
とにかく一生懸命に学び・働く静六は、若いときから「人生計画」を立てていた。
少し前時代的であるし私のような凡人にはとても真似できないが、面白いのでここに掲げてみよう。
【人生計画総括表】

