飛石は歩く人の草履を濡らしたり、泥にしないための「舗装」である。
露地(茶庭)の地面をおおう蘚(こけ)や草花を踏みつけないための優しい造作かもしれない。
そうした「用」のためだけではなく、庭の「景色」づくりのためのアートでもある。
江戸時代の秘伝書には、“利休はわたりを六分、景色を四分に据え申し候”などと記されている
写真は犬山城近くの有楽苑、「国宝茶室如庵」から「有楽好みの井筒」へと向かう飛石である。
如庵を建てた有楽とは、戦国時代の茶匠・織田有楽斎(1547~1621)のことである。
信長の弟であり波乱の生涯を送ったが、晩年は武士を捨てて茶の湯を心の拠り所とした。
如庵も京都建仁寺から各地を転々としたが、この犬山の地に安住の地を得ることとなった。

《茶室「如庵」は二畳半台目 その狭い空間で何を語り合ったのだろう》
