「四間道 (しけみち)」
名古屋城築城とともに、城下町は明確な計画に基づいて整備されていった。
お城近くは武家屋敷。その南には、東西南北整然と正方形に区画された商人町がつくられた。
「碁盤割り」 という。さらに南の大須あたりと、建中寺のある東区あたりには寺町が形成された。
熱田の湊と名古屋城を結ぶ堀川沿いには,水運を利用する商家が立ち並んだ。
お城と名古屋駅との中間地点に、「四間道」 と呼ぶ道が堀川に並行して走っている。
道幅が4間 (約7m) という、当時としてはとても広い道路なのである。
四間道沿いには火災に強い土蔵が並び、商家は物資運搬のためもあって堀川側を向いている。
広い道と土蔵との組み合わせは、元禄13年の大火から学んだ延焼を防ぐための方策なのである。

《高い石積みと黒板・白壁の美しい街並みである》









