清州から名古屋に町が移転 (1610年の清州越し) すると、名古屋城下に人が集まってくる。
当然、食料が必要とされることから、家康は枇杷島に青物 (野菜類) 市場を開設する。
岩倉街道は、尾張北部方面からの青物を荷車に載せて、枇杷島まで運んだルートである。
市場で野菜を売りさばいた人々は、帰りに味噌や油といった生活用品を購入したという。
そのため街道沿いには商家が立ち並んでいた。庄内緑地の北側 (旧・小田井村) には今も・・・
古い街並みや寺社が残っていて、名古屋市の 「街並み保存地区」 に指定されている。
写真は往時の面影を残す米屋さん。建物もさることながらお米の秤 (はかり) もなつかしい。
ヨーロッパの朱色の屋根や蜂蜜色の壁も美しいが、日本の黒い瓦や板壁も負けていないと思う。

《大型車には狭いかもしれないが のんびり歩くには適度なスケールである》
