« 「屋根神さま」 | メイン | 「東海道の渡し舟」 »

「岩倉街道」

清州から名古屋に町が移転 (1610年の清州越し) すると、名古屋城下に人が集まってくる。
当然、食料が必要とされることから、家康は枇杷島に青物 (野菜類) 市場を開設する。

岩倉街道は、尾張北部方面からの青物を荷車に載せて、枇杷島まで運んだルートである。
市場で野菜を売りさばいた人々は、帰りに味噌や油といった生活用品を購入したという。

そのため街道沿いには商家が立ち並んでいた。庄内緑地の北側 (旧・小田井村) には今も・・・
古い街並みや寺社が残っていて、名古屋市の 「街並み保存地区」 に指定されている。

写真は往時の面影を残す米屋さん。建物もさることながらお米の秤 (はかり) もなつかしい。
ヨーロッパの朱色の屋根や蜂蜜色の壁も美しいが、日本の黒い瓦や板壁も負けていないと思う。

%E4%BD%90%E5%B1%8B%E8%A1%97%E9%81%93.jpg

     《大型車には狭いかもしれないが のんびり歩くには適度なスケールである》

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

2010年02月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

About

2010年02月08日 10:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「屋根神さま」」です。

次の投稿は「「東海道の渡し舟」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。